ナガム先生からメッセージをいただきましたのでご紹介します。

 

私はナガム・ガーニム・ラフマーンです。モスルで小児科医として働いていました。モスルには様々な困難が存在しますが、私はモスルのサラーム病院に長い間勤務し、また、ここでクリニックを運営していました。私はここモスルで生まれ、モスル大学に通い医師となりましたので、ここには多くの友人や親せきたちがいますし、故郷に対して深い愛着を持っています。

 

2008年10月に起ったキリスト教徒に対する迫害以降、他のキリスト教徒と同様に私の家族はモスルから32キロ北東に位置するカラクーシュという村(ハムダーニーヤ郡)へと避難しました。当時は家具などを持ち出す暇などありません。お金や装飾品、重要な書類など最低限の貴重品だけを持って避難しました。そして私たち家族はカラクーシュで生活の再建に努めました。私は近くのハムダーニーヤ病院で働くと同時にクリニックを開きました。新規の患者を受け入れながら病院とクリニックの両方で懸命に働きました。

 

2014年6月10日、イスラム国がモスルに侵攻してからモスルや周辺の街での生活は特に厳しいものとなりました。電気や水の供給は滞り、治安は悪化するばかりでした。6月17日にはイスラム国がキリスト教徒をモスルから追い出し始め、また私たちの財産を押収し始めました。私たち家族が住む村はモスルからさほど遠くないところでしたのでイスラム国がいつ来るのかと不安に怯えて暮らしていました。そしてついに彼らはカラクーシュに侵攻し、市民に対する砲撃を開始しました。そのため私たち市民の多くが6月25日にアルビル県やドホーク県といったクルド自治区に再び避難することになりました。

 

その後しばらくしてイスラム国の退却と共に戦況も落ち着き、クルド自治区に避難していた人々はカラクーシュに戻りました。私たちもアルビルの親戚の家に一週間滞在した後にカラクーシュに戻りました。

 

8月6日、今度は以前よりも強力にイスラム国はカラクーシュに侵攻しました。これに対してペシュメルカ(クルド政府軍)は歯が立たず、彼らは数時間で街を放棄して退却してしまったのです。その日私はハムダーニーヤ病院で病気の外来患者の診察に当たっていましが、その日の朝の砲撃によって殺された二人の子供の遺体と、砲撃によって負傷し救急外来に運ばれてくる若者の姿を目にしました。その時にカラクーシュの人々が直接にイスラム国側の攻撃に晒されているということを理解しました。私たち家族や私の妹家族、また大多数の人々がその日の午後にはカラクーシュから脱出しました。通常カラクーシュからアルビルまでは車で45分とかからない距離ですが、あの時は12時間要しました。他の家族中にはもっと時間を要した家族もしましたし、通常使わないような道を使ってようやくアルビルに辿りついた家族もいました。ある家族はアルビル県ではなくドホーク県やスレイマニヤ県へと避難しました。幸運にもパスポートを持ってくることができた家族はビザが発給されるとすぐに隣国ヨルダンやトルコ、またはレバノンへと避難しました。

 

深夜一時にようやくアルビルに着くなり、私たちはアルビル市内のホテルを探し回り、ニ時間後にようやく一室を見つけました。私たちは一週間そこで過ごした後、家を借りることにしましたが、その値段はとても高く通常の4倍ほどにも高騰していました。しかしだからといってその代わりもありませんでした。

 

8月7日イスラム国がニーナワー県の大部分を制圧し、すべてのキリスト教徒が彼らの家や街を後にしました。当然のことながら何を持ち出すか吟味するにはあまりにも時間が短すぎたので、私たちはわずかな貴重品のみを手にして、家財を残して逃げてきました。その後イスラム国は支配地域を破壊し、また教会の財産を収奪し、さらに障がい者や一人暮らしの高齢者のような逃げ遅れた避難弱者をも追い出したのです。

 

私たちは親戚の別の二家族と家をシェアして暮らしています。またすべての公務員は6月以降給与が支払われていません。また銀行も6月10日に閉められたままですので経済的にも非常に厳しい暮らしを強いられました。しかしアルビルでこのように暮らし始めて二日も経たぬころ、私はマルチシモーネ教会の難民キャンプで小児科医としての医療活動を始めました。ここにいる人々は皆悲嘆に暮れています。また病気の子供たちもいますし、人々は大きな不足に喘いでいます。

 

JCFの支援で薬品を購入するナガム先生

 

マルチシモーネの医療キャンプはカラクーシュ教会のベフナーン神父によって設立されました。彼はアルビルに避難してきた避難民の中からクリニックで働ける医師を探していたのです。私同様、彼によって見出された様々な専門家の医師が現在キャンプでボランティアを行っています。クリニックは当初18人の医師とテントで運営されましたが、クリニックを訪れる患者の数は1日に400人にも昇りました。現在テントはコンテナに変わっています。またクリニックは休日などなく毎日無料で診療を行っており、またここはキリスト教徒やイスラム教徒、またヤズィディ教徒といった様々な宗教的背景を持つ患者を分け隔てなく受け入れています。現在様々な国NGOが薬品を寄付してくれていますが、残念ながらそうした薬の供給は非常に不安定です。そのような中JCFは今月(2014年11月)の薬品を支援してくれただけでなく、少なくとも来年からの6か月間の安定的な薬の供給を約束してくれました。私たちはそうしたJCFの協力と支援に深く感謝します。

 

ナガム・ガーニム・ラフマー二― 小児科医

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンピンひらり

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