日差しは和らぎ、春の陽気になりました。遠くに雪をいただいた北アルプスの山なみを仰ぎながら、この日を噛みしめるのです。
最近になって、福島に住む友人達から「災害に10年という節目はありません」、「テレビで津波の映像が流れるのを、もう、見たくありません。怖い、悲しい、というより、私たちは、新しい、今を生き始めています」。こう語りながら10年の年月は、涙だけではない、人のたくましさと繋がる事に心を置く信頼の確かさを読む。
家族・親戚・友人を失い、職場・家・耕作地・故郷を後にしたたくさんの人々がいる。外遊びができなかった子ども達は、今、どのような青春の時を迎えているのだろうか。
失ったものへの思い(喪失感)は図りがたい。決して決して、何かが取って代われるものではないと思う。
ただ、この日に思う。新しい今が、何かを生み出しているかもしれない、と。
そして、事故を起こした原発の処理は果てしなく続く。チェルノブイリに通い続けたJCFは、被災地に住む人々が背負ったカタストロフィーと共に、福島の人々、友人達に思いを馳せる。