それぞれにできること

福島第一原発事故は、チェルノブイリに匹敵するレベル7と発表された。海に放出された放射性物質、事故直後発表されなかった大気拡散放射性物質、それらも含めてカウントされているのだろうか。
南相馬からの帰路、古いカーナビに頼っていたら、川俣町・飯館村をたっぷり2時間余りドライブしてしまった。のどかな里山だが、人気が無かった。
4月11日、この地域が、計画避難区域になった。第一次派遣で入った時から、飯館付近を通ると簡易測定器が異常な感知音を鳴らし続けた。3月21日頃は、雪が残っていて、その上に測定器を置くと、10マイクロシーベルト以上と振り切れてしまった。事故直後大気に散った放射性物質が風に運ばれ、飯館付近でホールアウトしたのではないだろうか。

 南相馬市は、4月に入り、県外に避難していた方達がもどってきて、避難所があふれ出した。原町第一小学校は、160人。入りきれない人たちのために石神第一小学校が、新たに避難所になった。第3次派遣団が入った8日は、40人だったが、2日後77人になった。新学期になり、学校が始まるのではないかと期待する人、他県の避難生活に疲れた人、物流が復活し始めたので、仕事をしにもどった人等などである。

しかし、津波にあった小高地区のお年寄りたちも多い。夜、徘徊する方がいると聞き、諏訪中央病院の医療チームとJCF加藤君が交代で当直をした。
吉岡先生と寺澤薬剤師、濱看護師は、一人ひとりていねいに様子を聞いて、薬を処方した。飯島さんも元看護師、弾性ソックスとマスクを渡しては、話を聞いていた。
事故から1ヵ月を経て、避難所生活も大変になってきている。大阪から一人でやって来たという若い女性が、おばあちゃんのマッサージをして、喜ばれていた。

かみや さだこ

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