活動ニュース

日本チェルノブイリ連帯基金の関する最新ニュースおよび過去のニュースがご覧いただけます。

活動ニュース速報

食品放射能測定を開始(2012,02,01)

食品放射能測定を開始しました。

使用検査機器
 日立アロカメディカル株式会社 食品放射能測定システム CAN-OSP-NAI
 

事業の目的
・ 食品や飲料水に含まれる放射能検査をすることによって、内部被ばくのリスクを回避する。

汚染度を把握し、対策を立てる。
市民の持ち込み食品だけでなく、公共に資するもの、一般的には測定されていないものを定期的に測定していく。
幼児の口にするもの・飼料・加工食品・嗜好品など。  

対象試料
① 食品(自家栽培作物・流通食品)
② 飲料水(水道水・井戸水)   

 

検出限界:セシウム-134 セシウム-137 合算で20Bq/kg以下になるように計測時間設定して測定します。

 

検査費用 (1検体)
・一般 2,000円 (会員得点あり)   
・法人 5,000円

 

*必ず事前に事務局に電話(0263-46-4218)で予約お申し込みをお願いします。

 測定依頼書をファックス等でお送りします。

ジミナ・ナジェージダ院長(ベトカ地区病院)来日!(2011.10.28)

福島第一原発事故により、私たちは、放射能と向き合っていかねばならない日々を過ごしています。 チェルノブイリへの関わりの意味も大きく変わってきました。
この度、ベラルーシより「ふくしま会議」に参加していただくために、ジミナ・ナジェージダ(ベトカ病院院長)を招聘しました。
ナジェージダ院長は鎌田理事長と共に、NHK「復興カレッジ in 福島 チェルノブイリからフクシマへ」にも参加します。NHK「復興カレッジ」ウェブサイトからお申し込みください。 
http://www.nhk.or.jp/ashita/support/college/20111113_fukushima/

また11月10日(木)午前10時~12時「チェルノブイリで起こったこと」と題して、松本市中央公民館(Mウィング)3-1での講演会も企画しました。たくさんのご参加をお待ちします( 参加費:無料 )。

福島の子ども達の診察に関する報道発表について(2011.10.13)

JCFは、福島の子ども達を被ばくから守るために、外部・内部被ばくを測定し、食べ物など生活管理を行う事、継続的かつきめ細やかな健康診断を行なわなければならないと考えています。
ベラルーシ共和国ゴメリ州ベトカ地区は、原発から約180キロ離れていますが、高濃度の汚染に見舞われ、強制移住によって地図から消された村が58ある地域です。事故から25年経った現在でも、村人2万人の内部被ばく量測定は、半年に一回行われ、数値の高い住民は医師たちによって見守られています。地区に15在る診療所では、食品汚染について注意を呼びかけるポスターが貼られ、フェリシェル(保健師)による健康管理が、きめ細やかに行われています。
福島第一原発事故は、チェルノブイリ事故とは違いますが、子ども達に対するリスクを回避する手段を考える時、参考になる点が多々あります。


今夏、7月~8月に、㈱カタログハウスと茅野市が、福島の子ども達を長野県でゆっくり過ごしてもらおうと、290組813人を招待し、保養「ふくしまっ子の夏休み」を行いました。JCFは保養に参加された方への事前アンケートをして、頭痛・腹痛・鼻出血を訴える子ども達がいたことから、チェルノブイリ支援のときから応援していただいている信州大学医学部附属病院小児科に診察を依頼し、73家族130人について診察していただきました。 検査項目は、問診・尿検査・血液検査でした。甲状腺機能障害も疑われたことから甲状腺ホルモン検査も行いました。
甲状腺ホルモンについては、基準値をわずかに外れた子がいましたので、その結果を合わせて公表しましたところ、一部のマスコミで、あたかも甲状腺機能異常があったかのような報道がありました。それによって、福島のお母さん達が、パニックに陥っていると聞き、心を痛めています。いつ健診を受けられるかもわからず不安を募らせているお母さん達の気持ちに添いたいと思っています。
今回は、夏休み保養に来た子ども達が対象でしたが、より多くの子ども達が地元でより早い時期に健診を受けられようにしていきたいと検討しています。

 

*検査結果については、日本小児内分泌学会、東日本大震災の関連情報のHPをご覧ください。 http://jspe.umin.jp/pdf/statement20111012.pdf


「福島原発震災被災者支援募金」のお願い(2011.03.17)

JCFでは被災地支援のため募金募集を行います。
以下の郵便振替口座に「震災支援」とご記入下さい。
口座番号:00560−5−43020
口座名:日本チェルノブイリ連帯基金
連絡欄:震災支援
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インターネット銀行および他金融機関からの振込用口座番号
059(ゼロゴキュウ)店(059)
当座 0043020
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JCFイラク報告会(2010.12.04)

 イラクでは、10月以降、各地で爆弾テロが、頻発しています。総選挙から半年以上にわたる無政府状態。そんな中で、日本との医療協力によって、イラクの白血病・小児がんの子ども達を救うことができるだろうか。この困難な状況で治療に当っているタリク医師(バグダード・セントラル小児教育病院)・ハサネィン医師(バグダード・小児福祉教育病院)・ワサン医師(バスラ母子教育病院)の3人を招きました。日本での医療を視察していただき、イラクでの治療の向上を目指します。
 最悪な中での、希望―─人と人とのつながりに、日本からの願いを形にしていきたいと思います。

◆イラクの現状と医療の向上をめざして◆

日時:12月4日(土)13:30~15:30
場所:松本市中央公民館(Mウィング) 3-B
参加費:無料

内容
1.テロ続発のイラク   加藤 丈典(JCFイラク駐在員)
 2.バグダードの病院で  タリク医師(セントラル小児教育病院)
 3.質疑応答

 

長崎・ヒバクシャ医療国際協力会 シンポジウム(2010.12.18)

長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(ナシム)主催のシンポジウム<核に汚染された大地を歩いてーチェルノブイリ・カザフスタンが語り続けるものー>が2010年12月18日(土)東京都千代田区丸の内2-5-2三菱ビル10階で開催されます。鎌田理事長も「生きているってすばらしい-チェルノブイリ救援活動20年の報告ー」という講演をします。
入場無料ですが、申込が必要です。詳細は長崎・ヒバクシャ医療国際協力会のシンポジウムのページをご覧下さい。

2010年10月のJCFスタディツアー参加者募集中!

☆10月9日出発予定、ベトカで地域医療について学ぶスタディツアーの参加者を募集します。

ベラルーシ、ゴメリ州ベトカ地区は、チェルノブイリ原発事故による放射性物質で高度に汚染されました。しかし、この地に残って、住民の健康を守るために奔走している地区病院長ナジェージダ先生がいます。先生が作ってきた地域医療は、素朴で人間味あふれ、私達も学ぶところがあります。
地域住民の健康を守る診療所のフェリシェル(保健師)と共に、血圧計を持って、大平原を駆けるツアーです。10月9日(土)出発、10月17日(日)帰着予定、費用は約25万円です。

詳細はこちらのPDFをご覧下さい。
またはJCF事務局にお問い合わせ下さい。

第94次訪問団(2010.08.02)

第94次訪問団(8月2日〜8月12日)が出発します。
JCFが支援活動を継続しているゴメリ州ベトカ地区は、放射能の高汚染地としての問題を抱えています。高汚染地のため人口の流出があり、その結果生じた問題により、ネグレクトが増え、うつなど、精神症状を抱える人たちが増えています。
その中で、ソ連時代から続いている「フェイシェル制度」が汚染地の村人たちの健康を支え、病気の予防や早期発見・早期治療に役立っています。
今回の訪問団はベトカ地区病院に贈った内視鏡の設置始動の他に、次のような目標をもって渡航します。
・ベトカ地区のクリニックを訪問し、そこで働いているフェイシェルと共に活動することで、現在ベトカ地区が抱えている問題をより具体的にし、今後の支援・関わりの参考としていきます。
・ベトカ地区を取り巻く精神保健の現状を把握することで、精神的健康を保持・向上するためにどんな支援・関わりができるか検討していきます。

ジミナ・ナジェージダ院長(ベトカ地区病院)報告会(2010.04.24)

 1986年のチェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故から24年経ちました。しかし、放射性物質に汚染されたベラルーシ共和国ゴメリ州のベトカ地区には、まだまだ事故の爪あとが残っています。
 この地に残って、ここで暮らす人々の健康を守りたいと奔走する地区病院長ナジェージダ・ジミナさんを招聘しました。ナジェージダ先生から、現在の健康被害の様子を聞き、日本からの協力について考えましょう。また、地区の人々一人ひとりについて、把握している先生からは、地域医療の原点を学ぶことができます。
 4月26日は忘れてはならないメモリアル・ディです。 2010年4月24日(土)松本Mウィングで午後1時30分より開催されるナジェージダ院長報告会『故郷を語る』にご参加下さい!

JCFイラク報告会(2010.01.22)

 2009年12月3日〜12月18日、イラクの首都バグダード・小児福祉教育病院から、二人の医師を日本に招聘しました。

 イラク戦争が終わって5 年半、イラク国内は今尚混乱を極めています。今年8 月18 日、JCF 訪問団が北部イラクのアルビルに滞在中も、バグダードでは死傷者300 人を超える大きなテロが発生しました。戦火の恐怖の下でも、私達と同じ市民の暮らしがあります。

 「 バグダードの社会状況と病院の子どもたち」と題して、マーゼン医師(腫瘍学 バグダード・小児福祉教育病院)とナジハ医師(血液学 同上)のお二人からイラクの現状と、日本への招聘研修の背景と今後めざす方向性について報告を聞きました。
また鎌田實JCF理事長が「JCF イラク支援と医師招聘研修から将来に向けて」について話しました。

第93次訪問団(2010.01.21)

JCF第93次訪問団(2009年11月7日~11月20日)は長崎大学医学部医師にも参加して頂き、ベトカ地区における甲状腺検診の内容と患者の動向調査、ベトカ地区の診療所健康診断内容とベトカ地区病院初期診断医療器の設置状況に関する調査、ベトカ地区病院にホルモン検査機器を設置したことで期待できる効果についての調査、国際シンポジウムへの参加等を目的として渡航しました。
訪問団は専門家と共に、ベトカ病院への今後の支援への取り組み方を探ることができました。
(写真:ベトカ汚染地区で暮らすエレーナさんの家で、長崎大学医師と神谷事務局長 )

第92次訪問団(2009.08.29)

JCF第92次訪問団(2009年8月16日〜8月26日)はイラク支援として、アルビルでの支援拠点調査と医療機器メンテナンス、医薬品支援、難民キャンプの調査を行いました。

ベラルーシでは、ゴメリ州立病院支援と今年度ナジェージダ・キャンペーン支援の機器機種選定をしました。

訪問団は予定の行程をすませ、無事帰国しました。ご心配や応援をありがとうございました。

2009年度定期総会(2009.06.21)

2009年6月20日、東京お茶の水<総評会館>において2009年度JCF定期理事会・通常総会が開催されました。

2008年度事業報告、2008年度決算、2009年度事業計画、2009年度予算案が可決承認されました。

今年度もJCFの活動にみなさまの応援をよろしくお願いします。

CD「ふるさと」発売中!(2009.03.13)

がんばらないレーベルのCD第3弾「ふるさと」好評発売中!

チェコ、プラハ音楽院教授のヴラダン・コチさんのチェロ演奏によるCDを、是非お手に取ってお楽しみ下さい!

プラハの春(2009.01.07)

チェコ、プラハ音楽院教授のヴラダン・コチさんと鎌田理事長の出会い、感動の物語「プラハの春」をお読み下さい!

こちらをクリックするとグランドゼロ78号掲載・鎌田理事長執筆記事(PDFファイル)がダウンロードされます。

限りなき義理の愛大作戦2009(2008.12.17)

「限りなき義理の愛大作戦2009」キャンペーンに参加して、イラクの白血病の子ども達に医薬品を贈りましょう!

電話ファックスでの受付開始は2009年1月5日です。

第92次訪問団(2009.08.29)

JCF第92次訪問団(2009年8月16日〜8月26日)はイラク支援として、アルビルでの支援拠点調査と医療機器メンテナンス、医薬品支援、難民キャンプの調査を行いました。

ベラルーシでは、ゴメリ州立病院支援と今年度ナジェージダ・キャンペーン支援の機器機種選定をしました。

訪問団は予定の行程をすませ、無事帰国しました。ご心配や応援をありがとうございました。

過去の記事

緊急声明「放射能の脅威を事故をもって知る愚かしさ」

埋葬の村
チェルノブイリ原発事故前は
ここに大勢の人たちがいた・・・
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東海臨界事故10月1日発表文
東海臨界事故10月5日発表文
東海臨界事故・大内 久さんの死を悼む
東海臨界事故・篠原さんの死を悼む
今井澄さん(JCF理事)を送る
東京電力だけの問題だろうか

東海臨界事故10月1日発表文(1999.10.01)

9月30日、茨城県東海村(株)ジェー・シー・オーにて、ウラン濃縮作業過程で、臨界事故が起きた。作業に携わっていた3人は、高レベルの放射線被曝により、千葉の放射線医学総合研究所で治療を受けている。

また、付近住民は緊急避難によって、不安な一夜を過ごした。

事故原因の解明から今後の対策策定への早急な取り組みと、何よりもまず周辺住民の安全対策を十分に確保してほしい。

住民にとっては、小さな事も不安の材料になり、過剰反応に陥り易いので、あらゆる手段を講じての情報伝達とコンタクトを、マスコミと行政に願う。

報道の中で「起こり得ない事故が起きた」という表現があったが、人間のすることにどうして「起こり得ない」事がありえようか。原子力エネルギー開発に関して、この様な妄信と視野狭窄があったのではないだろうか。

また、核燃料サイクル政策による、MOX燃料がフランスから搬入された直後にこのような事故が起きた事は、ますます原子力に対する私たちの不信感を増幅した。

原子力による国の安全対策がこのようなものだったのかと私たちは事故をもって知ることになった。

JCFは、現地情報の収集と専門家との連携によって、今後の動きを検討して行く事とする。

1999.10.1 日本チェルノブイリ連帯基金

東海臨界事故10月5日発表文(1999.10.05)

 9月30日、茨城県東海村核燃料加工会社ジェー・シー・オー東海事業所にて、ウラン加工作業過程で、臨界事故が起きた。作業に携わっていた3人は、高レベルの放射線被曝により、極度にリンパ球が減少し、現在幹細胞移植などの治療を受けている。

 また、350m以内の付近住民は緊急避難によって、コミュニティーセンターで不安な一夜を過ごし、10キロ圏内では、屋内退避が勧告された。現在避難勧告は解除され、人々は日常生活を回復したと報じられている。しかし、日本国内初の臨界事故に対する人々の不安は大きい。東海村村内3ヶ所で行われている健康診断の様子も体表付着線量測定のみのようである。事故発生から、避難勧告まで4時間かかっていることから、近隣住民の方たちには、体内被曝線量の測定もすべきである。

 今回の事故は、加工会社のずさんな安全管理、手順を変更した違法マニュアルによる作業など、放射能の危険性に対する認識の欠如への責任は重大だ。それは、安全管理不十分なまま推し進めようとしている国のエネルギー政策の無謀さも浮き彫りにした。

 被曝した人の合計は49人と発表されているが、正確なモニタリング結果がわからず、被害の規模は予断を許さない。更に、事故直後から茨城県産の野菜・魚介類は市場で値下がりしており、一般市民は、不安感が増長するばかりである。正確な情報と安全管理を行政に要求する。

 1986年にウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原子力発電所の大爆発事故の被災地に医療支援を中心に活動してきた日本チェルノブイリ連帯基金は、放射能災禍に苦しむ人々と課題を共有化し、二度とこの様な事故が起こらない社会を共に構築していくことを目指している。ベラルーシの被災地住民の不安は東海村の方たちが今感じている不安と重なってくる。8000キロ離れた、それも、連邦崩壊までは情報の無い旧ソ連邦の国々のことを日本で伝えて行く難しさを抱えてきたが、この事故が起こって、国内での危機意識を共有化するという愚かな悲しさにやりきれない思いがある。

 人間のする事に絶対という事はない。日常的な安全管理、非常時の対応。国と地方自治体、各事業所の緊張した対応が必要だ。 こんなに狭い日本で51基の原発が稼動している。もしもの事故は原発だけではない。私たちが過剰享受している電気エネルギーの約30%が原発から供給されている。搬送する人、加工する人、発電所で働く人、さらに再処理施設で働く人、危険な最前線にいる人々によって成り立つ私たちの生活を見直したい。

 核エネルギーは危険なままに最終処分されている。プルトニウム再処理システムは核爆弾製造にも繋がる危険性を孕んでいる。

 今、JCFができることは何か。

 住民の立場から、放射能の基本的知識・事故が起きないように企業と行政への点検要請と情報公開・もしもの時の被害防止マニュアルの作成を計画している。

 放射能事故は人災です。どんなにOA管理、機械化されていても人間のすることです。 科学の限界を知り、謙虚に暮らしを見直したい。

1999.10.5 日本チェルノブイリ連帯基金

東海臨界事故・大内 久さんの死を悼む(1999.12.22)

9月30日、東海村核燃料加工会社でおきた臨界事故で大量の放射線をあびた大内さんが亡くなられた。

大内さんの受けた線量は人間の致死量をはるかに超えていた。東京大学医科学研究所附属病院での造血幹細胞移植により、白血球が増えていると聞いても、皮膚や内臓の被害は深刻なので、まったく予断を許さない状態にあると、私たちは緊張して見守っていた。この間、付き添うご家族の方はどんなお気持ちであろうかと痛みを感じてもいた。

一方、大内さんへの一連の治療経過が報じられる中で、強い憤りがあった。

国の原子力エネルギー政策を進めるために「国内の事故で死者を出してはならない」というような愚にもつかない国の威信をかけた治療が行われているように思われてきた。

東海臨界事故もまた被害を受けたのは、59人の作業労働者と周辺住民だった。86年のチェルノブイリ原発事故とは、事故の性質が違う事を踏まえた上で、被災地に医療支援活動をしているNGOとして思う。

血の通った人々の生活を置き去りにした科学技術・その上にある国策で、被害を受けるのは、いつも一般市民である。私たちは、ベラルーシの半永久的に汚染されてしまった大地に暮らす人々の、不安のため息を強制移住で職を失った男性、子育て中の母親、たくさんの人々から聞いてきた。

「日本での不幸な事故は、チェルノブイリにつながる。
 大内さんの死が、モスクワのミチノ墓地に眠る消防士達につながる。」

国家という名の下に、個人の命が抹殺されてはならない。私たちは、大内さんの命を 「安心して暮らせる社会」を共に作って行くためにつないでいきます。

合掌

1999年12月22日 日本チェルノブイリ連帯基金

東海臨界事故・篠原さんの死を悼む(2000.04.27)

昨年9月の東海村JCO臨界事故で大量の放射線を浴びた、篠原理人さんが今朝亡くなりました。昨年12月に亡くなった大内さんに続いて、二人目の犠牲者となってしまいました。ここにご冥福をお祈りします。

奇しくも昨日(4月26日)は、チェルノブイリ原発事故から14年目にあたります。放射能被災地では、いまだに高濃度に汚染された大地は残り、健康被害や健康不安に苦しむ人たちが大勢います。

こうした悲劇が二度と起きないように、チェルノブイリや臨界事故で亡くなった方たちの死を真摯に受け止め、核や原子力の利用を根本から問い直して行かなくてはいけないのではないでしょうか。

2000年4月27日 日本チェルノブイリ連帯基金

今井澄さん(JCF理事)を送る(2002.09.05)
1995年5月、ベラルーシ、ゴメリのツーリストホテル。第29次訪問団で初めてチェルノブイリを訪れた今井澄さんは、思い入れ深くロシア民謡を歌ってくれました。
東大闘争と地域医療、今井先生の歩んで来られた道はなんと激動に満ちていたことでしょう。9月1日早朝、先生は静かに息を引き取られたそうです。

JCF設立以来、参議院議員としてのお立場から、JCFと厚生省・外務省の橋渡しをしていただきました。息をお引き取りになる前にも「ワッショイ、ワッショイ」と言われていたと。先生のデモはずっと続くのでしょうか。

どうぞ、安心して暮らせる社会に少しずつでも変わっていけるよう、「ワッショイ、ワッショイ」と私たちを励まして下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。

2002.9.5 日本チェルノブイリ連帯基金
東京電力だけの問題だろうか(2002.09.10)

1980年後半から10数年間にわたって、点検記録が改ざんされ続けてきたという。新潟県刈羽村では、この夏、地域住民対話集会が開かれ、住民投票で否決されたばかりのMOX燃料が、また導入されるのか、と危惧している矢先だった。刈羽原発だけではなく、福島原発でも削除項目を指定して、改ざんが行われていた。

「たかが炉心隔壁のひび」と侮ったのか。国の原子力推進政策に対して、不安材料を呈することができなかったのか。この事件で、国と電事連の関係が露呈された。原子炉での小さなひび、小さな水漏れがどんな大事に至るか、関わった人たちには痛みがなかったのだろうか。

私たちJCFは、チェルノブイリ原発事故によって、地図から消された村を訪れてきた。電気の恩恵とはほど遠いつましい生活が根こそぎ奪われた村人たちと言葉を交わしてきた。彼らのため息を日本で伝えようとするとき、国や組織は私たちのもの、住民のためにはなっていないと思い知らされる。

小さなトラブルがどんな大事故につながるか計り知れない。いま、矢面に立っているのは、東京電力だ。だけど、他の事業所には問題がないのだろうか。すべてを明らかにした上で、原発と私たちの暮らしについて検討したい。

2002.9.10 日本チェルノブイリ連帯基金

読売国際協力賞受賞(2006.11.01)

日本チェルノブイリ連帯基金が「第13回 読売国際協力賞」を受賞、11月1日に授賞式が行われました。

チェルノブイリの事故から20年、JCF活動15周年を迎え、年月の経過と共に、風化させることなく、チェルノブイリやイラクの子どもたちへの支援活動を続けていこうと思いを新たにしておりました。
そんな矢先の今回の受賞は 私たちを励まし、背中を押してくださるかのような気がします。 ありがとうございます。

これからも、応援してくださる皆さんと共に、多様な活動を展開していきたいと思います。

「雪とパイナップル」発売!

JCF理事長・鎌田實の心あたたまる感動の絵本 ピュアな心をもった大人たちと 優しい心の子どもたちに贈ります

文:鎌田實
画:唐仁原教久
発行:集英社
定価:1500円+税

 97年の2月だった。ベラルーシの児童に対して初めて行われた末梢血幹細胞移植という白血病治療。ベラルーシと日本の医師、看護師、衛生検査技師、メディカル・エンジニア、みんなで一人の少年の命を救うために検討が重ねられた。少年の母は「この子にとって、最後のチャンスです」と日本の医師たちを信頼してくれた。無事に終わった時のエレーナお母さんの安堵の涙は忘れられない。そばで父のバロージャさんもほっとされていた。…しかし、きびしい事だった。何回かの緊急事態を皆の協力で乗り越えていった少年アンドレイは2000年7月に、天国に旅立っていった…。「亡くなった」という報告をすると、鎌田先生は電話でこう言われた。「うまくいった時はいい。そうでない時、残された家族に会って話すことが大切なんだ」。病気と闘っている時のアンドレイ。小康を得て、外来通院をしているときのアンドレイ。いつもそばに母エレーナさんがいた。


  2002年春、アンドレイの家族を訪ねることになった。暖かく迎えられた居間には、まだアンドレイの思いでの品々がたくさんあった。鎌田先生の「残された家族とお話をしたい」という意味がわかったような気がした。 お母さん、お父さん、妹のマリアの気持ちも伝わってきた。
 そこで、思いがけない出来事がお母さんの口から語られた…。
 「雪とパイナップル」  イラク戦争開戦の日に、ぜひ伝えたいことだった、と鎌田先生は言う。
 ”そこにいるあなたが、苦しんでいる。私は、何をしてあげられるだろう。”
 弥生さんは、アンドレイのささやかな願いをくみとってくれた。 エレーナお母さんの胸に刻まれていた厳冬の日のあたたかなおもいやり。日本の看護師さんが、アンドレイと彼の家族、そして私たちをつないでくれた。
 そして、この本を読んでくださるたくさんの方たちとをつないでいく 。
 治療中のアンドレイのさまざまな表情が思い出される。アンドレイ、ありがとう…。

第5回「永井隆平和記念・長崎賞」受賞!

己の如く


地球上で何百回と繰り返された核実験、戦争で使われた劣化ウラン弾など、放射性物質によって生き物たちは非常な負荷を負い続けています。「ヒバクシャ」が世界共通語として使われるようになったグランド・ゼロー長崎の地に立って、「ぼくたちは、どこに行こうとしているのだろう」と思いを馳せます。  ぼくたちの立っている社会と環境の有り様に絶望し、得体のしれないものに絡め取られていく不安を感じる今、一人の気骨ある科学者・医師である 永井隆博士が、ぼくたちに歩み行く方向を示して下さっています。「たゆまぬ探求と錬磨によって、科学は生きるもの達への安心と安全に寄与すること」、「慈しみあう心につながれた個々の生きる営みが、地上に満ちること」と。第5回「永井 隆」平和記念・長崎賞を受賞する栄誉をいただき、チェルノブイリの被災地で出会い、闘い、信頼を深めた方々皆で8000キロの時空を超えて、喜び、励まし合っています。チェルノブイリ医療協力を通して学んだたくさんの事を、永井隆先生の指し示すところに活かしていこうと思います。長崎からのエールに応えるべく、歩んで参ります。ありがとうございました。

JCF理事長 鎌田實

 

4.26 チェルノブイリ・メモリアルデー(2004.04.24)

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所が大爆発事故を起こしました。
この日をメモリアル・ディに、JCFは支援活動から学んだことを、皆さんにお伝えし、語り合う「ベラルーシの食卓」というイベントを、4月24日松本市中央公民館で開催しました。
留学生たちによる料理とベラルーシの紹介、事務局からチェルノブイリ事故とJCFのこれまでの支援活動について、そして現地の子どもたちとの交流を続けている方のお話も聞きました。

タチヤーナ・シュミヒナ先生が永眠されました(2003.12.29)

母のぬくもり


 2003年12月29日、タチヤーナ・シュミヒナ先生が、永眠されました。ゴメリ州立病院小児血液病棟のベッドでした。13年前、チェルノブイリの子どもたちの被害を心配し、小児科から独立させた血液病棟です。「この病棟は、JCFと共に作ってきました」。彼女のこの言葉がどんなにうれしかったことでしょう。
 91年の出会い以来、「私たちが、ここで子どもたちを治療します」というシュミヒナ先生を、JCFは日本から応援してきました。
 訪問日程を作りながら、「シュミヒナに会いに行こう」といつも思っていました。そこにあなたがいたから、あなたが頑張っているから、自然に私たちの想いはベラルーシに飛んでいました。
 あなたの机上にあるたくさんの子どもたちの写真。あなたが抱いてくれたたくさんの人たち。 どんな場面でも、あなたはき然と、そして満面の笑みで対してくださいました。
 「次に会うときは、働いているわ」この3年間、繰り返された言葉です。


また、日本からみんなで来ますね。
「春には、仕事をしてるわね」
そう。ベラルーシにはあなたがいます。
母のぬくもり 大地のふところ 清澄な大空

 

マリアちゃんに元気を届けます!

ベラルーシ共和国ミンスク国立小児血液がんセンターに入院中のマリア・クリシタポービッチさんの治療のために、兵庫さい帯血バンクからマリアちゃんとHLAが適合するさい帯血を輸送することになりました。

さい帯血移植の前に全身放射線治療など難しい課題がありますが、現地医師と信州大学医学部小児科医師との協力で、マリアちゃんの快復を願ってJCFも緊張感あふれるさい帯血輸送を行いました。

5月10日、信州大学医学部の医師と事務局長神谷は兵庫さい帯血バンクから受け取った小型コンテナに冷凍したさい帯血を持って、成田からミンスクのセンターに向けて出発、12日ミンスク国立小児血液がんセンター到着しました。センターのオリガ医師、ナターリャ医師が、140度の冷凍庫を冷やし準備していてくれ、コンテナから冷凍庫に移し、ほっとひと安心です。


13日、再び治療に入るために再入院したばかりのマリアちゃんとおばあちゃんに面会しました。かわいいジーンズのスカートで、「こんにちは!」と声をかけると、おばあちゃんの後ろに隠れようとします。「このこは、はずかしがりやなんですよ」とおばあちゃんはマリアに挨拶をうながします。
日本のたくさんの方々がマリアちゃんがよくなるように応援しています。今度さい帯血も運んできました。できる限りのバックアップをします、と伝えました。

16日、お母さんが、仕事を休んで、病院に来ていたので、日本からの応援を伝えました。しかし、主治医から難しい治療であることをすでに聞いていて、とても不安だという。必要な薬品などできる限りのサポートを約束し、ミンスクを後にしました。

また6月21日(土)佐久の勤労者福祉センターで「アレクセイと泉」マリアちゃん基金支援上映会が行われ、上映会に参加された皆さんからの寄付をいただきました。これからもたくさんのみなさんの応援をつのり何とかマリアちゃんの移植を成功させたいと思います。

マリアちゃんにより一層の応援をお願いいたします!

マリアちゃん逝く(2003.10.18)

 全国のたくさんの皆さんから応援をいただき、治療支援をしてきましたベラルーシ、ミンスクの国立小児血液がんセンターに入院していたマリア・クリシタポービッチさんが、10月18日朝、永眠しました。
 10月3日に、さい帯血移植を行い、経過を見守っていました。
  9日、突然感染症のため危篤状態になったと連絡が入りました。連日衛星通信で様態を聞き、主治医のユーリー先生、センター長のオリガ先生と日本の信州大学医学部小児科の先生たちと治療について話し合われました。現地にはない抗生物質を緊急で送ったり、なんとか頑張ってほしいと祈るしかありませんでした。両国の専門医が、額をつき合わせてマリアの快復に力を尽くして下さいました。
 悲しい報告を皆さんにお伝えしなければならないこと、とても心が痛みます。 皆さんが「マリアちゃんがんばれ!」と寄せて下さった思いは、おばあちゃん、お母さん、そして主治医に伝えて来ました。寄付金で購入した医薬品は、手持ちで届け、使っていただきました。
 クリーンルームのベッドで、ニコッと微笑みながら手を振ってくれたマリアちゃん。瞼に映るマリアは「さようなら」とは言っていません。