ブックタイトルグランドゼロ101号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
47原発事故の直後、田村市には隣接する大熊町から大勢の住民が避難して来られ、蓮笑庵の関係者もすべての仕事を止めてその渦中に置かれたのでした。以来、彼女は庵主から託されたこの土地と家屋と作品を守りながら、その遺志を継ぐとは具体的にいかなることであるのか、を問い続けて来られたそうです。熟慮と沈思の果てに生まれた、蓮笑庵「くらしの学校」。『日々ていねいに』、『足元からの平和を考え、実践し、泥沼から咲く蓮が象徴する世界をつくっていくこと』。今でも、庵主初期の内省的な油彩が置かれたアトリエの壁面上方に、ルオーの大作ミセレーレの一枚を仰いだ時の感激が胸中を去りません。美は世界を救う。かつてドストエフスキーの預言した美の道が、私の前にあらためて示されたのでした。九月末の晴やかな休日を、蓮の笑う庵に遊びました。今年庵主の十回忌を迎えた蓮笑庵を守るのは、渡辺仁子夫人と娘さん、そしてあの大震災の後生活を共にすることとなった若者と多くの仲間達です。趣深い茅葺の山門を潜ると、一番手前に風来堂(茶室)、次いで職人達が作業した工房(現サロン)、並ぶ母屋を経て手作りの階段を登ったあじさい広場の傍らには、子どものための絵本館。二本の板を延べた橋を辿った最奥に、庵主が「僕の学校」と呼んだアトリエ・雑花山房。山を縫うように設えられた一つひとつの家屋は、庵主の自然に寄せた「思い」をそのままに映して余りなく、敷地の全体を貫く美意識に身を委ねる内に、おのづから呼吸が鎮まるのを覚えます。位牌の安置された仏間にお参りし、くらしの学校を主宰される明朗な仁子夫人と、時を忘れて語らいました。中庭の美しい「万菜」は、幾つもの小部屋から成る清楚な応接空間ですが、あの三月十一日を経て、全国から集う支援ボランティアのベースキャンプとして解放され、国籍も性別も世代も超えた出会いの場と化したそうです。見渡す限り、到る所に亡き庵主の作品と遺品がちりばめられ、深い沈黙を湛えた、この美の空間が、です。