ブックタイトルグランドゼロ100号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
8で大荒れに荒れたのだ。ミハイルが眠るまで付き添ったのも事務局長であるぼくの仕事のひとつだった。1997年2月の末梢血幹細胞移植には、数百kgの輸送すべき荷物をいったん神宮寺本堂にストックした。医療器材からティッシュペーパーまで本堂は機材の山になり、出荷までの数日間、本堂は使えない状態だった。それらとともに、ベルギーから取り寄せたフローサイトメーター(細胞数や細胞の種類、細胞に含まれる核酸などの定量や、細胞表面や細胞内の抗原を検出するために用いられる機器)、CO2培養器、クリーンベンチ、アイソレーターなど大物の輸送は想像以上に困難だった。8000km離れた異国に、しかも賄賂が渦巻き、お金やモノが不正に取り扱われるロシアを経由して、経済的混乱をきたしているベラルーシに、子どもたちの移植手術を行うためのラボを作るのだ。労力とお金とそれらの慎重な管理が必要とされる。計画から半年。実行期間は2月1日から28日までの1カ月。末梢血から幹細胞を取り出し急速冷凍(およそマイナス150℃)する大型冷凍庫、加えて電圧が安定しないベラルーシの電力事情のために、重いコンデンサまでも持ち込んだ記憶がある。抗がん剤、抗生物質、グランなどの新薬、栄養剤なども抜かりなく用意し、8000kmの大輸送作戦が行われた。同時進行でゴメリ州立病院では病室の模様替えが行われた。アイソレーターを入れるため電源の位置を変えたり、窓にフィルムを張ったり……。2月15日、D─0の日(抗がん剤で白血病細胞を徹底してたたき、それが0になった日)。見事に造血幹細胞が11歳のマラシェニコフ・アンドレイの身体に入っていった。両国の医師団は歓声を上げ成功を祝った。だがそこには、下ごしらえをし、下支えをしてくれたモチャロフがいた。彼はそのビッグプロジェクトを完璧に仕上げたのだ。支援薬品の運搬左から2人目モチャロフ