ブックタイトルグランドゼロ100号

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グランドゼロ100号

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概要

「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。

6JCFの過去を話そういつも、モチャロフがいた!神宮寺住職高橋卓志(前JCF事務局長)ノルマリーナシルベスタ・スタローンのような風貌のモチャロフ・ミハイル・セルゲイビッチは、初期JCFの牽引車だった。彼の前に問題は何もなかった。「ノルマリーナ(なんてことないさ)」の一言ですべて片が付いた。車、通訳、宿、訪問先の手配、人的ネットワークの動かし方、機材の通関や搬入、そして安くて美味しいレストランの予約……すべて完ぺきだった。1991年1月、極寒のベラルーシで車のフロントガラスが割れ、凍え死にそうになったとき、彼は鼻歌を歌いながらビニールを張り付け、ガムテープで止め「ノルマリーナ(問題ない)」と笑った。モスクワ・シュレメチボ空港で膨大な量の医療器材を税関が通してくれなかったときは、担当者を物陰に呼び出し100ドル札を渡した。その瞬間、通関OKのサインが出た。長野県から頂いた中古の移動検診車に6万本の注射器と同数の注射針をぎっしり詰めて船便で送ったときは、黒海沿岸のオデッサまでそれを受け取りに行き、ベラルーシ保健省の玄関前にドンと横付けにし、保健大臣のカザコフを驚ろかせた。ぼくはシュレメチボ空港で2度拘束されている。一度は