ブックタイトルグランドゼロ100号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
47本当のことはどこにもないものと南相馬のわれらは知れり歌とはいえない口惜しさの塊のような言葉の羅列だった。それを眺めていたら、このままではだめだ。五臓六腑が腐るほどの怒りを身の内に潜ませていては動けなくなる。この怒りは個人を超えたもっと大きな怒りのはず。どう伝えたらいいのだろう。自問自答を続けるうちに行き着いたのは「慈悲の怒り」というダライ・ラマの言葉だった。彼は語る。「怒りには二種類ある。個人的な感情にまかせた怒りと、大きな社会的な不条理に対する怒りである。後者は慈悲の怒りである。慈悲の怒りは社会を動かす力を持っている。恐れずひるまず立ち向かってゆく力の源になる。慈悲の怒りは否定されるべき感情ではない」と。福島第一原子力発電所の事故から三年経ち、放射能の手強さをいやが上にも認めざるを得なくなっているのが福島の現状です。この三年でたくさんのお年寄りが亡くなりました。その姿を見ていると自分の意志で生きることを止め彼岸へ渡って行ったように思われてなりません。自分の余命の時間を子や孫に与えていったとしか思えないような亡くなり方でした。その方たちが願っていたのはただ一つ、次世代の人の幸せな未来だと思います。残された私たちは、その死に報いる行動をしなければ……という想いを胸に活動をしてきました。しかし、今、三年という時間の重さに喘あえぎはじめています。何となく、何も無かったことにしたいという願望が出てきて原発事故のことが風化し始めているような気がしてなりません。まじめに、穏やかに、慎ましく、普通に暮らしたいという想いが逆に「慈悲の怒り」を消し去ろうとする力となって働いているようで気がかりです。私たちは、三年前に起こったこと、この身で体験したことを決して忘れてはならない。今の暮らしはその延長上にある。そんな思いを込めて今回は、「慈悲の怒り」というタイトルで二十首の歌を出しました。ここに掲載していただきますので、感想をお聞かせ頂ければ幸いです。高橋美加子さん