ブックタイトルグランドゼロ100号

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グランドゼロ100号

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概要

「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。

45くとも現地との関わり方を継続できる形で信頼関係の継続や人的交流を深める活動にシフトして行かれたら?と思います。◎金井貞徳11992年放送部の取材で、事務局を訪問し、活動内容を知った。その後生徒たちと話し合い自分たちにできる協力活動を実行しようということになった。翌年11月チェチェルスクから来日した11人の若者(信大病院での検査、治療)を松商学園高校に招いて交流会を実施。交流活動のスタートとなった。この交流会での11人の若者が「百万本のバラ」を歌ってくれたのがなつかしい。21994年プロジェクト・メイに私も参加した。チェチェルスク公会堂での交流会では持参した松商放送部制作のビデオレターを大画面プロジェクターで上映し生徒たちのメッセージを伝えた。1996年8月部員8名と共に“ベラルーシへの取材と交流の旅”をJCFの全面支援により実地。その様子を『僕たちの見たチェルノブイリ』として出版。映像作品「心の架け橋」(35分)を報告会で発表し、全県高校へ配布。さらに「心の誓い」(8分)を制作、NHK杯コンテストで全国優勝し、NHKで放映された。“伝えることも支援”がいつしか放送部のモットーとなっていった。3福島県南相馬市原町高校と学校間の交流を震災後開始し、相互訪問を続けている。その中で聞いた高校生の言葉には胸が痛くなるものが多い。私もベラルーシで聞いたこと知ったことと同様の内容を日本で……とは思わなかった。「矛盾を乗りこえ何としても前へ向かって、今を生きなければならない。それにしても放射能という目に見えないものと戦うことのむずかしさが……」という高校生の言葉を正面から受け止め支援を続けなくてはいけない。4今後増加するであろう甲状腺障害等についてベラルーシでの活動同様粘り強い支援を行っていくこと。福島の人々を時の流れの中で、孤立させないための人的な交流活動を継続し、その様子を世界に発信していくこと。“チェルノブイリそしてフクシマを絶対に忘れないこと、その先に私たちの未来がある”ということを具体的に伝えていくことが必要。私もJCFのおかげで多くの学びを得てきました。