ブックタイトルグランドゼロ100号

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グランドゼロ100号

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概要

「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。

37とことでは括れない、より温かい、人間的な交流が紡がれていった。子ども達の甲状腺検診と治療、小児白血病の診断と治療、高汚染地の学校での健康診断、新生児支援……。ベラルーシではまだ使われていなかった超音波診断装置(エコー)や血液検査機を日本から運んで、使い方を伝授し、診断技術の向上を目指した。現地医師たちは、自らのレベルアップにまい進した。信州大学医学部小児科の小宮山先生・小池先生、甲状腺外科の故飯田先生・菅谷先生の言葉を吸収していくタチヤーナ先生、ミハイル先生、ユーリー先生たちの真摯な眼差しは、JCFの訪問団に参加された専門医を何度もベラルーシに誘った。ソ連邦が崩壊し、独立国家共同体となった1992年からの数年間は、ベラルーシ経済が疲弊し、ロシアからの燃料も止められ、ベラルーシ市民にとってもJCFにとっても困難な時代だった。当初のトイレット・ペーパーも無い、便座も無い滞在談が笑い話になる時の経過から、政治が一般市民に及ぼす影響を目の当たりにした年月だった。1996年2月、ベラルーシで15才以下の子どもに初めて末梢血幹細胞移植が行われた。両国の医療関係者が、協力し合い、正にこの時から、支援というより、医療協力に変わっていった。「ひとりの子ども」は、毎年2~3人と現地医師達が自立して、移植治療ができるようになってタチヤーナ医師(中央)と小池医師(右端)左から菅谷医師、高橋前事務局長