ブックタイトルグランドゼロ100号

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グランドゼロ100号

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概要

「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。

18みなさん、こんにちは。信州大学1年(集会当時)、松本友子です。本日はこのようにお話しする機会をいただき、本当にありがとうございます。まずはじめに、東日本大震災で亡くなられたすべての方々へ、心よりご冥福をお祈りいたします。私のふるさとは、福島県です。高校2年の時に、原発事故で被災しました。実家は、福島第一原発から15キロ、第二原発から5キロ南の双葉郡楢葉町にあります。現在楢葉町は、避難指示解除準備区域となっていて、自由に行き来できるようになりましたが、まだ住むことはできません。私の家族は、震災によって別々に暮らすことになった、世帯分離した家族です。原発事故の後、父は福島県南相馬市、母は横浜市、祖父は東京都に避難しています。私も震災から1年間は、福島県いわき市の高校の近くにアパートを借りて、ひとりで暮らしました。今現在も、ひとりひとりが異なる土地で避難生活を送っています。2011年3月14日、楢葉からいわき市の小学校へ避難して二日目のことです。私と母は避難所から歩いて買い物へ行っていました。その帰り、のどが渇いたので、近くのコンビニへ寄ってアイスを買い、駐車場で二人で食べていました。福島第一原発3号機が爆発したのはそのときでした。コンビニの店員さんが店のシャッターを閉め始めたので、「どうしたのですか」と聞くと、「原発がまた爆発したんだよ、早く帰ったほうがいいよ」と言われました。マスクをかけて急いで避難所へ戻りましたが、息が上がると放射能を吸い込みそうで、本当に嫌な気持ちでした。また、震災から一カ月もたたない4月上旬、楢葉町が警戒区域になる前、立入り禁止になる前に私は一時帰宅しました。高校の制服3-11サラバ原発松本集会の松本友子さんのメッセージ(福島県双葉郡楢葉町出身・信州大学2年)3-11さらば原発松本集会でメッセージを発表する松本友子さん