ブックタイトルグランドゼロ100号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
16100回のデレゲーショングランドゼロは役立ったのか?1995年トヨタ財団が助成してくれた「記録の作成」=「JCF・日本チェルノブイリ連帯基金活動の記録(1991~1996)」は1996年11月、ぼくが作成したものだ。40字×40行で119頁にわたる初期JCFの記録として重要なものだとぼくは意識していた。しかもその翌年に行われるビッグプロジェクト「末梢血幹細胞移植」をぼくの最後の仕事と考えていた時期だった。だから寝食を忘れるほどに、記録の作成(JCFの軌跡)に取り組んだ。多分現在のJCFではその存在すら知らない「幻の報告書」となっているはずだ。もし、書棚の片隅にでも見つけたら読んでみてほしい。そこには、チェルノブイリとの死闘が描かれ、私たちのいのちがどこに向かって行こうとしているか、という危惧が書かれている。ぼくはその最終章に、1996年以後に企画されていたD─10(DREAM-10)の内容を記した。1肺がんプロジェクト2免疫能・骨移植プロジェクト3甲状腺治療プロジェクト4チェチェルスク・ドリーム5専門家会議の開催6スタディツアー7写真展・コンサート8出版9JCFセミナー10広報関連プロジェクト……以上が96年段階、つまりぼくがJCFを辞する直前に立てた向こう10年の企画だった。当初から無謀だ、と言われた。「そんなことはわかっている。だがこれをやらなきゃなんねえのよ!」とぼくは思った。その理由としてぼくは最終頁にこう書いた。……D─10は盛り沢山の内容になっている。こんなことできるわけがない、とJCFは企画段階から思っていた。しかし、1項目ごとに詳細を検討していくと、まんざらでもない、いやできるという可能性の方が強いということがわかってきた。もちろんこれらを順調に遂行することには困難がつきまとうだろう。しかし、チェルノブイリ事故後10年は、人々の記憶を風化させるに十分な時間であり、反面、事故による晩発障害を増加させるにも十分な時間であった。この反比例する現象を見過ごすわけにはいかない。なぜなら、原発事故は人類の「いのち」に直結するからだ。現在、我々が暮らすこの日本で、まるで無尽蔵であるかのようにエネルギーが消費されている。しかしこのエネルギーは、尽きるものであったり危険を伴うものであること