ブックタイトルグランドゼロ100号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
15右往左往しながら、8000kmの時空を紡いだ。今回到達する100回目に繋いだ大きな功績を持つ人物は、鎌田先生でも、菅谷先生でも、小池先生でも神谷さんでも、ぼくでも……ない。あえて言えばモチャロフだ。S氏の都合で動き出したJCFだったかもしれない。でもS氏はモチャロフと言う宝物を残してくれた。彼によって100回のデレゲーションは成就したと言っても間違いはない。彼はいま、どうしているのだろう。生きているんだろうか。情けないが、そんなこともいまのぼくは知らない。一方、モチャロフとともにチェルノブイリにかかわったさまざまなシーンが、いまでも鮮やかに目に浮かぶ。ゴメリ、チェチェルスクの風景はいまでも思い出せる。病棟の子どもたちの名前は忘れたが顔や声はいまでもはっきり覚えている。困難を引き受け、先に立って支援してくれた人々の顔も決して忘れない。だが、チェルノブイリとの最初の出会いをつくってくれたマリーナ・バベンコは、モスクワ国際空港のテロにあい、死んだ。イリーナ・チューリナ、ストレリツォフ・ダーシャという有能で美しい通訳たち、原発事故を扱うセンター病院・ゴメリ州立病院で自身が持つ葛藤や苦悩を率直に語り、深い信頼関係を結んだ医師・タチアナ・シュミヒナも旅立った。彼女たちはモチャロフと同じぼくの戦友だった。チェルノブイリと闘った戦友だった。そして先だった彼女たちの遺志を継ぐべきチェルノブイリとの闘いは、ぼくの中では死ぬまで終わらないと思っていた。だ2011年3月、フクシマが……チェルノブイリと同じモンスターがこの国に出現してしまった。フクシマがメルトダウンを起こしたことを3月13日早朝、ぼくは支援に向かう途中の福島県・三春で聞いた。その瞬間、あのチェルノブイリ4号炉の石棺前に立った日のことを思いだし、背筋が寒くなった。その日、ぼくはたしかにタイムスリップしていた。あの日のチェルノブイリに、フクシマと言うチェルノブイリに、ぼくは20年後に立っていたのだ。チェルノブイリにかかわったとはいっても日本の原発事故に対して、ぼくは何もできなかった。それはぼくが事務局長をやっていたJCFも、神谷さんが引き継いでくれたJCFも同じだ。医療支援に特化した結果、守備範囲を狭めていた。だから俯ふかん瞰してみるべき原発といのちへの思考や方策や行動には繋がっていかなかった。脇があまりにも甘かったのだ。あれだけチェルノブイリに関わりながら、ぼくはフクシマの事故を未然に防ぐべき行動、原発に依存しないライフスタイルの提示ができなかった。それは大きな悔いとして、トラウマとしてそして「罪」として死ぬまで残るだろう。