ブックタイトルグランドゼロ100号
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「グランドゼロ」は、訪問団やセミナーなどJCFの活動の様子、事務局からのお知らせなどを掲載した季刊誌です。
14選べと言われた。だからS氏は日本に行き、チェルノブイリ支援を依頼した」と。じゃあ、何かい?ぼくはダマされたのかい?罰金のかわりの社会貢献を、しかもS氏がしなければいけないことをさせられたのかい?……どうも事実はそのようだ。しかし、モチャロフはそのことを、この時初めてぼくに語った。ぼくがJCFにどっぷり入り込み、抜き差しならない状態になったころのことだ。そういえば、「ロシア国内のサポートは私がやる」と豪語していたS氏の支援は、3回目の訪問あたりから下火になり、1年後には何の支援も受けられなくなっていた。そうなると、あの夜行列車の中での激論はいったいなんだったんだ……その後、ぼくの生活の大部分をかけて取り組んだJCFの活動をどうしてくれるんだ……いや、ぼくのことだけじゃない、何も知らない多くの人々を巻き込み、力を借りてきたことが申し訳ない……という疑問や憤懣や悔恨が沸くと同時に強い虚脱感に襲われた。車のシートに沈み込みながら「オイオイ、モチャロフ、そりゃないぜ」とぼくは言った。すでにモチャロフはS氏の会社を離脱して(させられて)いた。しかし、JCFの活動には全勢力を傾けてくれていた。その力の出し方は驚くべきものだった。すべての事情を知りながら、旧ソ連の現状を肌で感じながら、ぼくらの意志をとらえて活動に加わる。そこには果てしない「困難」がある。なのに積極的に彼はJCFにかかわった。普通ならそんなことはできないし、する必要もない。そこには相互の信頼感が横たわっていた。モチャロフの生き方は「情」を重んじるヤクザのようなものだった。そんな彼がいたからJCFは支援を続けられたのだ。そしてJCFは国内でも有数のNGOに育ち、さまざまな人々との交流が生まれ、評価が高まったのである。100回のデレゲーション(代表派遣)。その第一歩の真実がこのようなものなのだ。何をいまさら、という人もいるかもしれない。彼らの思おもわく惑に踊らされた結果だ、けしからんと憤慨する人もいるかもしれない。自分がかけたJCFへの思いや募金や行動を返せ、という人がいるかもしれない。だが、NGOなんてしょせんそんなものだ。あまり期待しちゃいけない。だが……と、途中でJCFを離脱し、部外者となったぼくは思う。1回目がなければ100回目はないあの第1回目のデレゲーションがなければ、100回目はなかった。それは事実だ。そして四半世紀の時の流れに